東大入学式の上野千鶴子氏祝辞についてちょっと。

公開日:2019年4月16日

スポンサードリンク

ある方から、
「東大の上野千鶴子さんの祝辞読まれましたか?上野さんについては好き嫌いがあると思いますが、とてもいい祝辞だなと思いました。」
とコメントをいただきました。

コメントくださった方のおっしゃる通り、上野さんについては好き嫌いがありますね。
上野さんはジェンダー研究をされている方なので、私の意見だけ書くのはちょっと違うかな…と思いT大卒夫に聞いてみました。

先に祝辞全文掲載されたURLを貼っておきます。
平成31年度東京大学学部入学式 祝辞

※上の写真は、最近T大卒夫が仕事で行ったついでに生協で家族に買ってきてくれました時の紙袋です。
あの灰皿の写真をまた出すのは気が引けたので、ちょうどよかったです(汗)。

全体的な印象

全体的な印象ですが、研究者という狭い世界で生きている人が、更に狭い世界で育ってきた東大生に語ってる内容で、社会人になってくると色々と自然とわかってくるような内容かなあとT大卒夫は思ったようです。

「受験勉強を勝ち抜いてきたからといって、何でもできるとは思うな」
と忠告しているような感じでした。
これはT大卒夫も同じことを言ってました。

私は、一部を除いて(これはダメ…)は良かったと思います。
あの事件まで引っ張り出していましたね…。

他にもT大卒夫の感想としては、以下の通りです。
・ただ、がむしゃらに勉強してきた世間知らずな東大生に向けての言葉としてはいいとは思う。
・その場にいたわけではなく、文章を読んだ上での感想なので、文章の繋がりに違和感があるけれども、実際にその場にいたら雰囲気にのまれて「よかった」と思うかもしれない
・女性の立場だと共感する部分も多いかもしれない。
・当てはまっている人もいるし、当てはまってない人もいるはず。どうして賛否両論になるかというと、少なくとも当てはまらない人がいるから。それを上目線で一律に語らないでほしい。

全体的な印象としてはこんな感じです。
さて、詳細に記載していきたいと思います。

東大ブランドという概念自体がない。

合コンの話も出ていましたが、東大の女の子はやっぱり東大の男の子を選ぶ傾向があったようです。

・T大卒夫は東大ブランドという概念はない。
・東大のプレッシャーという意味でならある。
プレッシャーは、女の子だけじゃなくて男の子だってあることを強調していました。
その時のエピソードを。
免許取得の時、どこの大学と聞かれて言いづらかったけれども「東大」といったら、「農大」と聞き間違えられた。
これ女だけではなく男だってそう。
なかなか東大とは言いにくい。
東大と訂正してもよかったけど、相手が引くかなと思ってそのまま農大で通したようです。
ただ、一方で「俺、東大卒なんだぞ」という人も知ってる…と。

T大卒夫は会社でも出世街道まっしぐらです。
ただ、本人は上になると管理職ならではの雑用も増えるから素直に喜べないとか..。
・社会は、忖度出来るやつが上に上がっていく。
・東大の人が他の人より優れているのは理解力と記憶力。そこを意識しないとダメ。
T大卒夫にもポリシーがあり、忖度で上がっている人とは違うとポリシーを貫いているそうです。

東大・京大出身の人もいますし、他大学出身の人もいる。
社会に出れば、東大ブランドというよりその人の能力次第と言いたいようです。

自分の頑張りは自分のために使ったっていい。

冒頭で私も一部を除いてよかったと書きましたが、その一部がここです。
この部分はT大卒夫が的確に意見しています。

・東大に入るまでに頑張ってるはず。環境のおかげも確かにそうだけど努力は認めてあげたらどうかな。
・自分が頑張った成果は自分で使えばいい。ただし、生まれ持った能力(上に書いた理解力・記憶力)は、助けるために使うのはその通りだと思う。
・「頑張っても報われないひと、頑張ろうにもがんばれないひと、頑張りすぎて心と体をこわしたひと」は助けるのはわかる。
でも、頑張る前からどうせ…と頑張らない人を助けたいとは全く思わない。
・頑張りは自分のために8割 人のために2割使うぐらいかな。
私もそう思います。

知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。

と上野さんがおっしゃっていましたが、T大卒夫は
・「メタ知識といいます。そのメタ知識」を敢えていう必要はない。私は凄いんだと言いたいだけ。我慢できなかったんだろう。ちこちゃんのおやじギャグと同じ。
・受験勉強に出てきてない言葉だから、その場では凄いって思うのかもしれない。
・「知を生み出す知を学生に身につけてもらうことこそが大学の使命です。」で十分
と言ってました。

最後の内容は、共感する人も多かったのではないでしょうか。
T大卒夫もここの部分はその通りと言ってましたね。

研究成果を語るのは仕方がないが、なんだか薄っぺらい。

さて、またT大卒夫の意見をお聞きください。

人間が生きているところでなら、どこでも生きていけます。あなた方には、東大ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい。

・「難民」と出てきているが、上野さんがこういった経験をされたなら説得力があるかな…。
・経験を元に話をするクレイジージャーニーに出てくる人たちの方が重みがある。

以上です。
本当に失礼しました。

Digiprove sealCopyright secured by Digiprove © 2019


スポンサードリンク







コメントをどうぞ

内容に問題なければ、下記の「コメントを送信する」ボタンを押してください。
・コメントは承認制に変更しました。
・諸事情により、承認作業は夜23時までとなります。
・トラブル回避のため、他サイトのURLの書き込みはご遠慮くださいますようお願いいたします。
・ここに書いていいのか迷う場合は、「歓談のひととき」もありますのでご利用ください。
ご理解のほどよろしくお願いいたします。

東大入学式の上野千鶴子氏祝辞についてちょっと。」への23件のフィードバック

  1. こんにちは。

    おはようございます。
    色々思うところはあるけど、今はあえて語る気になりません。

    肝心なのは、あのステージに送り込むこと。。。

    反骨精神だけは鍛えてやる。
    あとは、自分でなんとかしてくれ。。。(笑)

    返信
  2. タムタムママ

    祝辞、中々インパクトありましたね。
    東大も敢えて上野教授のこの祝辞を読ませたのは、東大も危機感あるぞ、覚悟を持って改革していくぞと言うメッセージをマスコミをつかって宣伝するという目論見があったのかも。
    その点で成功ですね。

    新入生は社会に出る前に強烈先制パンチをくらったわけですけど(笑)同じ学びでも深さはそれなりに変わるのではないかなぁ。

    頑張るって、本人の意思だけで成り立つわけではない、そんな事も多いですからね。

    能力があっても、毒親に自己肯定感をボロボロにされる、さらに貧困も絡んだらして、個人の努力ではどうにもならない人も世の中には多くいます。

    それなりに恵まれた環境で『甘ったれ』て『どうせ自分なんて…』と努力しない人の事を指しているわけではないのかな、と思いました。

    東大の親たちの平均年収が高い事も考慮に入れて、そして入学式に付いてきた親への先制パンチの意味合いもあるでしょう。

    東大のプロモーション戦略としては成功、あとは本当に改革が進むのか、ですね。

    返信
  3. 匿名1

    この祝辞は入学式で語るのは少し重いなというのが率直な感想です。
    卒業式で語った方がよかったのではないかと。

    女性として共感できたことは、確かに高校生までは男女平等だったなと。大学に入学してから、私も入りたいサークルに入れず(自校の女子学生お断り。自校の男子学生と他大学の女子で構成されるサークルがありました)結局自校の男女のみ入れるサークルに入りましたが。

    他にも他大学の女子大の女子はかわいいけど、うちの大学の女子はブスばかりとかという差別?や悪口は結構ありましたよ。まあ、そんなバカなことを言うのは一部の男子でしたが。
    そんなことを気にしていても仕方がないのでスルーしていましたが、大学は差別のあるところなんだなという洗礼は受けました。

    男子学生は大学時代はあまり差別は感じないのではないでしょうか。
    社会に出た時に差別を感じると思いますよ。お勉強ができることと仕事ができることは必ずしも比例しませんから。
    会社ではどんなに学歴が良くても仕事ができない人は出世できません。

    世の中差別だらけだとネチネチしていても仕方がないので、その時その時自分のできることを精一杯努力して生きる方が精神衛生上良いと思います。
    いつも差別を意識して生活をしていると幸せが逃げていく気がします。

    この話を我が子にもしてみましたら面白い答えが返ってきました。

    小学校では女子が威張っていて男子が差別されている

    だそうです。

    返信
  4. 氷河期世代の母

    こんにちは(^^)
    私はこの祝辞には共感しました。
    細かい内容や表現はさておき、
    子供を心配する母の気持ちかなぁと感じたからです。
    学力「だけ」で世間を渡っていくのは困難であること、
    受け入れるしかない不条理が社会にはたくさんあること、
    でもどんなことがあっても生きていてほしい。
    小学校に通う我が子にも同じことを思います。

    話は変わりますがPTAの学級理事に当選してしまいました。。
    PTAに入った覚えもないのですが・・
    これもまた飲み込むしかない現実ですね(-_-)

    返信
  5. ぷりん

    こんばんは、管理人さん。

    上野さんにしてはすごくおとなしめの文章で、はっきり言って何がそんなに問題なんだというくらい真っ当な文章で驚きました。いつもの露悪的を通り越して、エグいとしか言いようのないものではありませんね。さすが祝辞です。
    いろいろとこの祝辞に対する議論を追ってみると、昨年の姫野カオルコ著『彼女は頭が悪いから』のブックトーク(東大で行なわれた)が発端のようですね。東大新聞にそのフォロー記事があります。
    なんか東大内もいろいろとヤバイぞということで、入学式でガツンとかましたということです。

    だからって、東大自体もそんなに女性に対して差別的でないと言えるんかい、というツッコミがありまして。大学は、一般社会よりまだ男社会じゃないかと思うんですけど。女子院生のインタビュー記事なんかを読むと、ウン十年前と全く変わっていない。

    祝辞としての機能は果たしているのですが、その内容は私のむか~しのモヤモヤした気分を思い出させてウンザリするというのが本音です。そういう意味では、実に上野さんらしい。

    返信
  6. 打たれる管理人 投稿作成者

    皆さん コメントありがとうございます。

    私が引っ掛かったのは、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」という箇所です。
    主人も同意見でしたが、どんな環境下でも頑張ることすらしない人に対しては、なかなか理解が得にくいです。
    そんな中、低所得世帯への大学無償化の話が進んでいますよね。
    国公立・私立・短大・専門学校全てが対象。
    こんなのが支え合いといえるのかしら。謎です。

    すみません、時間切れです。
    また明日コメントします!

    返信
  7. タムタムママ

    努力が報われる環境が用意されていたり、努力する能力に恵まれていたりすこと、そこは自覚した方が良いでしょう。

    特に頭脳的に恵まれ、さらに努力する能力もおり、環境もありの東大生は、官僚、裁判官、等々行政の中枢を目指す方も多いでしょうから、多様な視点を持たないとね、と言う意味もあるのかな、と。

    どんな甘ったれの仮に税金泥棒達だとしても「しょせん自分なんて」としか思えない人々を昔より大量に抱えてしまった日本、それが現実。

    で、その日本をさて今後どうする?となったとき、その時は勝ち組の理論は全く通用しない、その理屈じゃ社会は変えていけない。

    理由はなんであれ、頑張れない人を何とかするには先ずはその頑張れない理由を徹底的に分析して、頑張る方向に持っていくのか、頑張らなくても何とか自立できる方向に持っていくしかないわけで、頑張れない理由をぶった切ったりしては、解決にはならない。

    頑張らない奴が悪い、頑張れだけで今後の社会は立ち行かないほど複雑になっていると言うことだと思います。

    女性学的には、昔、男女雇用機会均等法以前の女性達(またはいまもですね)仕事で出世を諦めた、仕事を頑張らないのは全部女性個人の問題なのか?
    ごく僅かにスーパーウーマンが頑張ってるけど、全員あれを目指すべきなの?違いますよね。
    また頑張っても報われない、採用の時点で総合職だとしても腰掛けだよね?と言われ頑張る意欲を削がれても、必ず頑張れと?そんなこと言われない男性と本当に平等なのか?
    一方、男性でもそこまで頑張りたくない、一般職的な仕事で家庭重視したい人もいて、その人は闇雲に勝ち組ルールに則って頑張る必要はないわけです、でもなぜか頑張るに恵まれた環境を用意されバシバシやられて最後は心を病んでしまったり…

    頑張れば報われる理論は、社会問題の解決にはもはや使えないのです。個人レベルではまたら話は別ですが、そこを社会の中枢に行くであろう東大生の心に届けておくことは意義あると思います。

    反対意見でもいいんですよ、心の中に残っていればいつか気がつくでしょうし。

    まあ人生ずっと勝ち組(と言う言葉は好きではないですが)ではいられません、仮にずっと勝ち組だったとしても、勝ち負けで考えていると負けに転じる不安を心の奥底で抱え続ける事になり、勝っていても実は心は不幸な人になりますよね。

    返信
  8. タムタムママ

    続投すみません。

    頑張る能力、頭脳、才能を社会のために、というのは恵まれた人が施しを、と言う意味合いとは違うかなと。

    恵まれた人の自己実現の方向性が、化学、物理の研究でも医学でも、ビジネスでもなんでも良いのですが、巡り巡って頑張ろうとしない、頑張れない人達も抱えながらでも少しずつでも前進する社会を作っていって欲しい、それが主旨だと私は理解しました。

    自分の自己実現に向かって突き進んでいても、いつかは社会の問題とぶつかる、繋がるわけで、そこでの解決力を東大生は求められているのです。

    一人で、東大生は平均年間500万も税金かけてるのですから当然です!(笑)

    返信
  9. 通りすがりのもの

    教育に国がお金をかけていない日本
    教育がお金を生み出す早い道の1つである
    貧困対策に教育に関するお金を投資するのが一番だと分かっている世界の長者番付トップの方々は非常に多くの投資をされている事実もあります

    教育に国がお金をかけない国は近い将来他国に追いつき追い抜かれ追い越され没落の一途になっていくというシナリオを考えた事はないでしょうか

    返信
  10. ポン吉

    管理人さんこんにちは。
    お久しぶりになります。
    こちらに集まる皆さんのコメントが素晴らしく、口を挟む余地もないので、いつもひたすら感心しながら拝見しております。今回どうしても気になったのでちょっと。

    まず上野さんは、東大生の頑張りを認めていないわけではありません。
    認めているからこそ、そのがんばりを、自分が勝ち抜くため「だけ」に使わないでほしい、と言ってます。
    他人のために使うのが1割2割でもOKじゃないですか?

    そしてご指摘の、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」~の部分、
    こんな問題に置き換えてみたら如何でしょう?

    問:「がんばる意欲をくじかれるひとたち」とはどんな人たちのことを指していると思いますか?
    誰にどのように意欲をくじかれるのか、例を挙げて答えなさい。

    例についてはタムタムママさんがすでに挙げてくださっていますね。

    ここを理解できないと、「がんばったら報われる」と「思える」のは恵まれた環境のおかげだということに納得がいかないんでしょうが、実際にはピンとこない新入生も多かったかもしれません。
    かくいう私も、今この年齢で、母親であるからこそ共感できたのだと思っています。公立小学校ではいろいろな家庭環境のお子さんにも遭遇しますし。

    上野先生のメッセージはつまるところ、恵まれた環境の中で自分のためだけに頑張ってきた新入生たちに、これからは広く現実を知って欲しい、学んで欲しい、そして最高学府の人間として日本の未来を切り拓いて行って欲しい、と伝えるシンプルな入学祝になっていたと思うのですが…もしかしたら動画を見ながら感動して涙した私が狂ってるのかもしれませんね(;´∀`)

    返信
  11. 打たれる管理人 投稿作成者

    皆さん コメントありがとうございます。

    「頑張った・頑張ろうとしたけど頑張れない」人たちと「どうせ」は雲泥の差です。
    冷たいかもしれませんが、どうせって言葉は言い訳にしか聞こえないです。
    学校でもどうせ…はダメって教えるはずです。
    多分、ここに温度差がありそうですね。
    どうせ…と思う人たちに資本主義の日本でどこまで手厚く手を差し出すべきなのか?
    このような子達も低所得なら支援の対象で、意気込みを見せれば大学生!
    (入学後は一応条件があって、満たさなければ支援打ち切りのようですが…。)
    貧困を打破できるのは教育という考えは間違っていません。
    実際、我が家は資産家でもなんでもないので、子供達に残せるのは教育だと思ってるぐらいですから。
    正解のない難しい問題ですが、おっしゃる通りこのような層を大量に抱えてしまい社会問題となっている
    以上、切り捨てるのは浅はかなのかもしれません。
    こんなことを書いている最中に、ふと「新井さん vs 孫さん」を思い出しました(汗)。

    ポン吉さんもおっしゃっていますが、公立小は社会の縮図ですから。
    ここを見るとわかります。
    勉強も運動も芸術系もすべて苦手というより、そもそもやる気なし。
    先生も授業中に注意しているようですが、なかなか響かないようです。
    唯一やる気があるのはゲーム。
    ゲーム開発者?という道もありますが、そのような子は既に何か自分で作っているはずです。
    ただのゲーム中毒です。
    一方、幾つもの種類の習い事で土日までびっしり埋まっている方との出会いも最近ありました。
    更に中学受験までぶち込むようで、そんな親が言い放った一言が「どれも辞めさせたくない」でした。
    やはり、このあたりからごちゃごちゃ始まっているように思えてなりません。

    大学入学・就職で差別の洗礼は受けますね。
    実際、私も読んだとき当時を思い出しました。
    氷河期世代の母さん同様、私も氷河期世代です。
    今の時代なら就職できたのかもしれない高校時代・大学時代の友人達が就職を諦めフリーターを選ぶ時代でした。
    特に女の子の就職が厳しかったです。

    ぷりんさんが書かれていたフォロー記事を読んでみました。
    教えてくださりありがとうございます。
    挫折、男女比率、女性への不慣れや焦りなどがありましたが、ただ単に後先を考えることができない、想像力がないだけなのでは?
    他大学でも問題になっていますし、闇が深いのかもしれません。

    うちの主人は匿名1さんの意見に近いものがあり、まっとうな意見だけど入学式の祝辞ではないと思ったようです。
    うちの息子たちからすると、女子は先生からえこひいきされている
    です。
    ひいきというより、男の子達がやらかしているから、叱られる機会が多いだけなのかもしれません(汗)。

    >氷河期世代の母さん
    PTA当たっちゃいましたか…。
    お疲れ様です。
    おっしゃる通り、自動入会ですよね。
    私は中学の方は大丈夫でした。問題は小学校です。どうなることやらです。

    返信
  12. タムタムママ

    「どうせ…」としか思わず頑張らない人達、視点を変えて日本の「どうせ…」と、世界の『どうせ…』で比べたら日本はかなりの甘ったれですね。
    日常的に命の危機に晒されてませんし、イスラム国の過激派組織のようなものが誕生するレベルではない。
    でも、本質は同じなんですよ。

    あまりに理不尽としか(本人達にとっては)思えない環境、そうとしか思えず頑張らない、無気力になる、または最終的に自暴自棄になる、この根っこのところは、同じなのです。
    そこに常に貧困問題が絡みます。
    「どうせ…」の人が増え続けは社会が停滞し、さらには、驚異そのものになるわけです。

    競争と平等とは?
    経済成長が善で停滞は悪なのか?

    この縮図でさえ、見方を変えれば公立小学校の中にありますね。

    この答えが見えない問題に世界が向き合ってる中、高度成長期の頑張れば報われる理論で日本は足踏みしていたら、世界で日本は通用しないんだよ、と言うことも祝辞には含んでいるかもですねぇ。

    入学式の言葉じゃない、と思わせたところで上野千鶴子、または東大の思惑通りなのです。

    違和感を残す、摩擦が生まれる、そこから新たな知識が生まれたら、まさに【メタ知識】じゃないですか。

    日本ナンバーワンと謳うなら、本来ならもっともっと学術的にはとんがっていいと思いますけどね(笑)それくらいじゃないとメタ知識なんぞ生まれてこないって事ですね。

    例え難民になっても、のところは私はユダヤ人の歴史を思い浮かべました。
    どんなに迫害されても、頭脳を奪うことはできない、できなかった。むしろ逆に頭脳だけは、その時代、社会にしか通用しない特有の勝ち組ルールとは無縁でいられた。
    だからこそ、世代を超えて守られ、受け継がれている。(ユダヤ人が全員頭脳明晰、とかそう言う意味合いではないです)

    弱者は相手のルールに乗ったら、それこそその枠の中で負けなのです。強者になろうとしても、最初から無理なルールが出来上がってますから。
    我がルールで、我が道を行くしかない、枠を飛び越え、新たな枠を作り出すのです。
    その新たな枠が次の時代の活力になる、新たな枠を作り出す最中は、必ず摩擦が起きます。

    女子の方がむしろ贔屓されてる、白人より黒人の方がずるい、とか色々ありますが、そんな事はどんどんおきる、起きてよいのです。
    社会が前進するためには。

    弱者は弱者でよい、とはそう言う意味だと思います。

    もしかしたら、自分の価値観、考えにかなりフィルターがかかっているかも、と私も常に考えています。高度成長期の親に育てられてるわけですから、きっと何かあるだろうな、それはもう仕方ないですね、ふーヽ(´o`;

    我々氷河期世代は、子がいるならちゃんと出来る限りの子育てをするしかないですね。

    人間らしい感情を守り(勿論、電子ゲームの中毒からも…)、自力で考えられる思考力が育つよう日々の環境を整備していく、これだけでもまぁ一苦労ですけどね。。。

    返信
  13. ぷりん

    こんにちは、管理人さん。
    難しいテーマなので、コメントの連投、どうしようかと迷ったのですが、簡単に祝辞の要点を示すと。

    姫野カオルコさんの「彼女は頭が悪いから」という本の題名は、実際加害者の東大生が被害者のことを指して言った言葉。ニュアンスとしては「頭が悪いからこんなことをされても仕方ない」、あるいは「だから僕は悪くない」か。
    では、実際彼女は頭が悪かったのか?(=東大に行けなかった)
    女性が学歴を積むときの例があげられました。医大入試の問題、東大女子が入会できない東大サークルの話、親の育て方。祝辞では上げられていませんでしたが、東大卒女子が過労自殺した事件もありました(「噂」では東大落ちの男性上司からの執拗なパワハラが原因とも)。
    日本社会全体がそこはかとなく女性の高学歴への嫌悪感を示しているなか、頑張って東大に進学しても差別があり、避ければ避けたで「頭が悪い」と馬鹿にされる。
    ここで「どうせ」と言うのは、当たり前のことです。社会構造として「どうしようもない」ことだからです。女性にとって前に進むも後ろに進むも地獄なのです。
    だから、「恵まれた」あなたたちは、諦めた人たちのことにも思いを馳せ、頑張りなさいと諭しているのです。

    では何故、祝辞でこんな「毒」を仕込んだのか。
    私の憶測ですが、例のブックトークで「彼女は頭が悪いから」が小説であるにも関わらず、フィクションとしての東大生と現実の東大生を混同して批判されたのが原因だと思います。
    作者の姫野カオルコさんがインタビューで「暗喩を理解されていない」「(小説としてではなく)東大生の報告書のように読まれた」と答えているように、東大生(一部教員も)たちはフィクションの東大生を「俺たちはこうではない」と言って批判しました。
    本来なら、描かれた東大生と現実の東大生との齟齬や描かれ方、そのズレから作者の意図は表現され尽くしたものなのか、そういったことがディスカッションされるべきだったのが、単なる反発で終わってしまった。
    実は、私にとって祝辞より、このことの方がショックでした。
    テキストをフラットに読めない、これは研究者として失格です。日本を代表する大学の教員や学生が文章を読めないというのはどういうことか。羽田圭介さんが「成功者K」を上梓したときに、小説の主人公と著者を混同して読む人が多くて驚いたと言っていましたが、同じ事が起きているのです。

    祝辞にちりばめられた「毒」は、文章を読み解くヒントです。「え?なんで祝辞でこんなことを言うの?」と思って、きちんと調べれば(ものの10分ほどです)答えは見つかる。そのことを新入生に伝えたかったのでしょう。
    東大は本気で、女性差別や性犯罪と向き合うつもりだと内外に向けて宣言したのだと思います。ここ毎年、性犯罪を犯しながら示談で済ませている複数の学生がいるどこかの大学とは違うと示す意図も?

    実は予算額だけで東大推しだったのですが、この祝辞について調べてみて中身もいいかも、と思っています。

    返信
  14. ぽっけ

    はじめまして。公立中学3年の娘を持つポッケと申します。
    娘が英検を受ける時に参考になるブログを探し、こちらのブログに辿り着きました。
    それ以来ブログや皆さんのコメントが素晴らしくて、読むのを楽しみにしています。

    娘は通っている公立中の中ではできる方で(こんなことお友達のお母さんには口が裂けても言えません) 中2の時に英検二級を取りました。
    管理人さんの長男くんのように地頭がよいタイプではないので、努力次第の娘です。
    幼稚園の頃からやる気はあったので、管理人さんのお子さん達への学習方法を見て、ああ!もっと早く知っていたら こんなやり方や教材があったのか!娘をもっと伸ばしてあげられたのかな、などと思いながらブログを拝見しています。

    すみません、前置きが長くなりました。
    今回の上野さんの祝辞ですが、私は全てにブラボー、素晴らしいとは思いませんが、管理人さんがひっかかっている
    「どうせわたしなんて」の段落の部分は、うんうん、と強く頷きながら読みました。
    管理人さんと私の受け取り方の違いだとは思いますが…。

    上野さんがおっしゃっている「どうせわたしなんて」は言い訳や怠け心から出ている言葉ではないと思います。

    親の愛情なく「しょせんおまえなんて」と親に言われ続けた子供が「どうせわたしなんて」と頑張る気力を奪われ、自己肯定感を育めない、そういう環境で育ってきた人もいるんだよと言う意味と理解しました。
    マララさんのお父さんが「娘の翼を折らないようにした」という言葉。
    「どうせわたしなんて」と言う人は、親に翼を折って折って折られまくって、頑張ろうにも飛び立てないほどダメージを受けた人のことかと思います。

    なので上野さんがおっしゃっている
    「頑張ろうにも頑張れない人」=「どうせわたしなんて」と言う人なのだと思います。
    上野さん少し言葉足らずな感じもしますが…。

    怠惰な人を、人のなん十倍も努力して東大に入った人が 助けましょうね!と言ってるわけではないですよ。きっと。
    そんなお人好しなことを言われたら、頑張って入った東大生は腹が立つでしょう。
    管理人さんが例に出された、ゲームばかりしている子、習い事と中学受験でアップアップしている子の「どうせわたしなんて」とは違った意味かと思います。

    温かい家庭ばかりではないでしょうが、少なくとも勉強を頑張れる環境で育ってきた東大生に向けて、色々な環境があることをお話されたのだと思います。

    初めてのコメントで緊張しております(汗)
    学のない私なので、的外れなコメントでしたらご容赦ください。
    これからも管理人さんのブログや皆さんのコメントで 勉強させて頂きます。よろしくお願いします。

    返信
  15. 打たれる管理人 投稿作成者

    皆さん コメントありがとうございます。

    おっしゃる通り、難しいテーマですね。
    読み手・聞き手によっての受け取り方がこんなに違っていて、これだけ話題になる。
    確かに東大としてのプロモーションは成功です。
    主人も、東大だけではなく学者としての上野さんも成功と言ってました。

    ブックトークは主催者林香里先生の話も含め、一度目を通してみるといいです。
    フィクションとして捉えることができない。
    ファクトと違うので、読む気にならない学生。
    主人公の設定、麻布と武蔵を引っ付けた架空の中高一貫の存在や寮など要因もあったのかもしれませんが、私のような凡人からすると、ちょっと理屈っぽいような印象も…。
    行動したらどんな結果になるのか?やっぱり前のコメントでも書いた通り、どうしてこんなに想像力がないのかしら?と凄く不思議に思いました。
    こんなことは主人が子供達の普段の生活からよく口にすることなんですけどね。
    勉強さえできればいいと育ってきたわけではないはずですが、東大(という記号)が影響している可能性はあるのでしょうね。
    本の存在は知ってましたが読んだことがなかったので、実は理解するまでに時間がかかりました。
    ぷりんさんがとても分かりやすく要約してくださっています。
    娘ちゃんのようなミニ先生が育つ理由が何となくわかります。
    いつもありがとうございます。

    「どうせ」の解釈は短絡的な考えでしたね。
    ご指摘ありがとうございます。
    ただ、現実は圧倒的に甘ったれが多いでしょう。
    タムタムママさんのコメントを読んでいても、日本の将来の不安定さが伝わってきます。
    弱者は相手のルールに乗ったら負けの話はまた面白いです。
    自分で考えられる思考力に繋がってますね。

    >こんにちは。さん。
    優しさも大事ですが、反骨精神は大事です。
    勉強でも運動でも、上を目指すにはこの気持ちがないと難しい。
    ちょっとこの辺もまた記載したくなりました。

    >ぽっけさん
    初めまして。
    うちの長男も、中学1か2で英検2級を取得するようです。
    ライバルがいてほしいと願っていましたが、どうやら他校出身の子でいたようです。
    理科の問題で発覚したようで、すごく嬉しそうに帰宅しました。
    私もライバルの存在に大喜びしていたなんて、口が裂けても言えません(苦笑)。
    難しい内容にコメントくださりありがとうございます。
    どっかのブックトークのように反発して終わりではなく、きちんと耳を傾ける方たちばかりなので読んでいて気持ちがいいです。
    こちらこそ、今後ともよろしくお願いします。

    すみません。
    他の内容に関するコメントが遅くなっています。
    私もコメントしたいので、明日以降にお返事させてください!

    返信
  16. こんにちは。

    おはようございます。
    参観日の懇談会に妻が出席した際、それぞれの子供が頑張っている内容の発表があったそうです。

    Aさん 時計が読めないので読み方を頑張ってます。
    Bさん うちの子も先日、時計がどっちに廻っているか聞きに来ました。
    Cさん うちの子は足し算がまだ出来ないので足し算が出来るようになるように頑張ってます。
    Dさん うちの子も足し算の問題を涙でグチャグチャにしてやってます。

    妻(ほぼ絶句の後) 
    うちの子は一人っ子なので学童で出来た後輩の1年生の面倒を見るのを頑張っているようです。^^

    帰宅後、妻が。。。
    時計って保育所の年中で読めたよね~。。。
    足し算も子供には難しいんだね~。。。
    うちの子しか見てないから驚いた~っと言ってました。


    うちは、リビングの時計も目覚ましも、子供の腕時計も
    全部アナログだから読めるに決まってるじゃん。
    他所はデジタル時計使ってる家なんじゃないの?

    ちなみに、最近やった問題は、植木算・旅人残・小町算・鶴亀算だよ。。。
    どうせそのうちばれるから、言っても良かったのに。。。


    言えるわけないでしょ?--;
    そう言えば、あなた結婚した時にリビングの時計は絶対アナログからくり時計って言って譲らなかったね~


    懇談会の参加は、俺には絶対無理だな。。。


    だね。。。
    そう言えば、家庭訪問で聞きたいことある?


    じゃあ、国語の勉強について
    漢字・言葉(慣用句や熟語)・読解力。。。今のレベルを説明して
    どういう風に進めるのが良いか、聞いてみて。。。


    ハードル高い事、要求するね。。。--;
    ヤダよ。。。--;

    返信
  17. タムタムママ

    すみません、最後に補足を…。

    甘ったれと表現してしまいましたが、戦後の日本のような絶対的貧状態(衣食住が圧倒的に不足)と現代の相対的貧困は違いますね。
    相対的貧困の方が解決が非常に難しい、そして生まれた時から相対的貧困家庭だと「どうせ…」に精神的に傾きがちなのです。
    その家庭が増えているのが今の日本です。
    差が外からは見えにくいので、ある程度大きくなってから突きつけられ、気がつく事も多いでしょうからある意味最も子供にとって最も残酷かもしれません。

    住むところも、衣服も足りてて親は携帯も持ってたりするから『何が貧困?』と周囲からは見えてしまうわけですし。
    それでも、義務教育期間は様々な支援や免除、補助で生活は成り立ちますしね。
    またその家庭の『親が』相対的貧困家庭で育ってなければ、先を考え知恵をめぐらし這い上がる事も視野に入れて大学を目指す事、その為のお金をかけない家庭学習、生活習慣、資金準備も努力である程度できる。
    でも、親が相対的貧困家庭生まれだと、それすらできない。気力もない、気がつきもしない、子どもの進学意欲も無理の一言で折るのです。

    これが、貧困の負の連鎖、日本を不安定にする要因です。

    相対的貧困家庭ではない、中学受験する余裕がある家庭の子ども、塾にお金のかけまくれる子どもだけが東大に来てもらっては困るのでしょう。
    国立だからという綺麗事ではなく【多様性】が減り【知が】生まれなくなり、大学の存在意義、競争力が薄れるからです。
    祝辞では多様性にも触れてましたね。

    そう考えると、優秀な研究者も輩出したい東大としては、最近の東大の子供達の属性にかなりの危機感があるはずです。
    要は、東大が求める子どもと、中学受験を勝ち抜き、塾漬けでそのまま東大に合格してきた子どもとでは、かなりのギャップが開きがあるという事でしょう。

    そこを踏まえて氷河期時代の我々は、どんな家庭教育をするか、ですね。

    返信
  18. ぷりん

    おはようございます、管理人さん。
    最新コメントを一覧で見られるようになって、最新スレッドだけにコメントが入る訳ではないことを知り、管理人さんの大変さが「見える化」されて、本当に頭が下がる思いです。どうぞ「ちゃんとコメントを返さないと」などと頑張らないでくださいね。
    幸い、ここを訪れる方々はコメントのやり取りを楽しんでいるので(見えている範囲内ですが)、その輪に管理人さんも混じっているという状態でいいんでは?そして、時々「これだけは言わせてくれ」ということを最新スレッドとして上げてください。やはり「荒ぶる気持ち」は必要。

    さて、「多様性」ですが。
    インターネットで世界中が繋がる現代、そしてそれに伴う文明の発展は、やはり多様化より画一化が進むんではないかと思います。それにより世界的に(経済的余裕と教養を)持てる者と持たざる者の二極化が進むと。

    それより心配なのは、日本の中間層の没落です。
    没落とは、かつて日本の復興を支えた中間層の経済的ではなく、子どもの教育についての無関心です。豊かになりサービス産業の成長に伴い娯楽が増えた結果、勉強してのし上がろうとするより、今現在の快楽に流されるようになった。「勉強させるなんて可哀想」と何度聞かされたことか。「公立学校の福祉化」の遠因はここにあると思います。
    高度な文明を支えるには学習の積み重ねが必須ですが、中途半端な民主主義(最大多数の幸福)が「公立学校の福祉化」を後押しして、教育格差が経済格差をより広げてしまう結果を招いています。
    教育政策は本来、国の発展に寄与するべく考えられるべきで、社会的に求められるレベルまで子どもの学力を引き上げることを目的とするところを、地域・保護者との連携を謳うために子どもに合わせてしまっている。この点を変えていかなければ、格差は広がる一方でしょう。
    そのうえ大学の無償化まで推進すれば、それは「大学の福祉化」に過ぎません。幼少時から真面目に勉強に取り組んで来た者にしてみれば(おそらくこの層は無償化の旨みを味わえない)馬鹿馬鹿しくてやっていられない。国外に優秀層は逃げて行くだろうと思われます。

    多様化と言うなら、勉強でもスポーツでも芸術でも、好きなことに打ち込んで努力した子を認める社会を作ることでしょう。今は残念ながら結果を出さないと、周囲からは白い目で見られることが多いです。小学校では公平性を重視して、勉強が出来る子は授業中なかなか当てられないし(それなのに発言が少ないからと積極性にマイナス評価がつく)スポーツが得意な子は運動が苦手な子と組まされ、思うように活動できなかったりします。
    努力してみてわかる得意なことと不得意なこと、それらについて寛容になれれば「想像力」も働くようになるのではないでしょうか。とりあえず今「甘ったれ」が多いのはその通りです。
    絶対的貧困層を社会的に救うことは当然ですが、相対的貧困層と混同してしまうのはどうかと思います。相対的貧困層の判断基準では、我が家は貧困層に当たります。我が家は支援してもらうべきなのでしょうか。

    返信
  19. こんにちは。

    お疲れ様です。

    私は、生まれも才能の一部だと思いますけどね。。。
    皇室に生まれたら、天皇になれる。
    企業の創業家に生まれたら、社長になれる。

    それは生まれ持った才能の一部だと思いますよ。

    優秀な遺伝子を受け継ぐのと、何が違うのだろうか。。。
    美貌も遺伝しますよね、それも才能ではないのでしょうか。。。

    返信
  20. タムタムママ

    相対的貧困層をまるっと税金で救います、は私も違うなと思います。
    でも、相対的貧困層出身の子の心が荒れないよう、そして社会が安定するよう、手立ては必ず必要です。

    相対的貧困層出身の子でも、必ず頑張れば報われる道を提示する事、ある事を教えてあげる事、それこそが公立学校の務めですよね。
    でも、その為には頑張った、認めてもらった、幼児期の体験と自己肯定感が必要です。

    相対的貧困層の家庭環境、家庭教育はそれなりに悲惨です。

    大学費用をばらまくよりも、私は認可保育園に仕事の有無関係なく希望者は全員入れるようにした方が、長期的に見て日本のレベルは上がると思います。

    女性の働きやすさとかそんな観点ではなく、相対的貧困層の子ども、養育力の少ない家庭からそれよりは確実に良い、またはマシな体験が得られる保育園へ。養育力のない家庭に変わって、1番大切な基礎の幼児期を保育園である程度育ててしまう、これもありだなと。
    保育園の質の維持が大前提ですけれど。

    (保育園全入園、みたいな事をおっしゃってた方、本もあったような気がしますが、すみません詳細は把握してません。。。)

    頑張ればできる!大人は見ててくれる!(スマホばっかり、スマホゲームばっかりしてるのが大人じゃない)褒めてくれる、認めてくれる、環境、体験を保育園で確実に与えてあげるのです。
    家庭の養育力がある、経済的に余裕もあるなら、そもそも幼稚園でも良いですね。

    でも、相対的貧困層に教育無償化だからと、その層が幼稚園に通わせてしまっては、子どもは午後には親元に帰ってしまいます。午後、電子ゲームやらせて、ジャンクフードのおやつを与えて放置、工作や料理など手がかかる体験は用意したり一緒には決してやらない、なら保育園の方が何千倍もその後の学力に繋がります。

    児童養護施設のように親と完全に切り離すわけでもないですし、必ず保育園に入れて8時から17時など預かってもらえるなら、ある一定層は働きはじめ、結果的に相対的貧困層から抜け出す事もあるでしょう。
    (または、働かなくてもさらに子どもを生んで、人口増加には貢献してくれるかもしれません…)
    親が抜け出せなくても、子どもは抜け出すかも、頑張ろうという自己肯定感が保育園でしっかり得られたらまだまだ希望がもてる気がするのです。

    本当に、日本は年寄りにばかり、お金かけてる場合じゃないですね。
    無償化で、そのお金がスマホゲーム課金に、または取り敢えずの習い事などに回っても意味ないです…。

    返信
  21. タムタムママ

    生まれも才能の一部、これは私もそうだと思いますよ。

    恵まれている子、持って生まれた物がある人こそ、最も強いと社会に出てから常々感じます。
    ハングリー精神、反骨精神では絶対に叶わない物があるのです、これは仕方ありません。

    美人の方が性格がいい、謙虚、これも社会に出てからよく感じます、捻くれてないし、美にそこまで価値を置いてないんですよね(笑)だからさらにモテてしまったり(笑)

    頑張れば報われる、ハングリー精神、反骨精神って、イメージとして、0地点から100へ、A地点からB地点へ、と一定の方向性とある地点のゴールをイメージしている、何かを得たいと思っている、故に【上限がある】ように、思えます。
    さらに何かを得ても、もっともっとと常に焦ってる、きちんと満足できない方も多い。故に社会的に成功しているように見えても精神的に疲弊してしまう方も多いですね。

    反対に元々生まれが、生まれ持って恵まれてる人は、純粋に貪欲でいられるのです。
    上限知らず、焦りしらず、天井知らず。

    元々恵まれいる人は、挫折体験ですら、一時的に落ち込むとしてもけっしていつまでも卑屈にならないでしょう。
    自己肯定感が盤石だからです。

    挫折すら全ての事は成長の糧にできる、自分を中心に360度に全方向に向かって貪欲に吸収していくイメージ、とでもいいましょうか。

    ビジネスではなく、学問、研究者などを目指す子どもはこちらのメンタルが育っている子が良い、向いてるのでしょうね。
    経済的なことに限った話ではなく、家庭に、親の愛情に、環境に、地域環境にそれらに十分に恵まれた子もそうでしょう。

    まあ、様々な意味で、特に家庭の愛情に満たされている子どもが1番強いのは、そこでしょう。

    自己肯定感が盤石で決して揺らがない、安心して己の探究心はどこまでも〜、と突き進める。

    恵まれた子どもには、仮に恵まれている事に気がついても気がつかなくても良いので、その才能能力を十分に開花し、自己実現に向かって邁進し、その問題解決能力で社会を変え、日本を背負っていってもらいたいと思います。

    どうせと頑張らない、相対的貧困層は甘えてると思う。弱者を切り捨てたいと言う気持ち、それは人間の本能的なもので、自然な感情だと思います、私にもきっとどこかにあるでしょう。強くないと生き残れないと言うDNAに刻まれたもの、なのでしょうか。でも弱者も抱えて共存して繁栄する、その知性、理性も備えているのもまた人間だからこそ、と思うのです。

    今私に出来ること、我が家に出来ること、僅かながらですが頑張って税金をちゃんとおさめます。
    どうか、教育に少しでも多くの税金がまわりますように。

    返信
    1. 打たれる管理人 投稿作成者

      教えて下さいさん コメントありがとうございます。

      システム構成上の話になってしまいますが、何か写真を入れないとNo Imageになってしまうので、適当に選んで入れてます。
      なるべく話題に関連した写真を掲載したいとは思っていますが…。
      ちなみに、写真は全て私が撮ったものです。

      返信